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ワカのサンキューブログ
日本人のいたネパール
ネパールへ来て4日目。
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初日から、ネパール家族計画協会のDr. タパが同行してくださっています。
このDr.タパがすごく面白いんですが、その話は明日にします。
Dr.タパ↓
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毎日本当にたくさんのことを見聞きしていて書ききれません。
今日はある二人の日本人の女性たちのことを書きたいと思います。

私がジョイセフの活動を知ったのは、2002年の冬でした。

「世界が100人の村だったら」という本をベースに、世界各国の現状を学ぶワークショップがあり、当時ネパールの担当をしていた飯島愛子さんがネパールの分科会の担当をしていました。
その時、ネパールの出産の現状を説明するために、自宅で出産する女性用の出産キットが飾ってあり、ひと箱もって帰ってよい、とのことでしたので持って帰ったのでした。

ネパールの出産キット。トランプが入るぐらいのサイズの赤い箱の中に自宅分娩に必要な最低限の道具が入っている↓
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それから10年の月日がたち、ジョイセフのスタッフとして愛子さんが担当していたネパールのプロジェクト地区に行くことになりました。

このプロジェクトは1976年に始まり、2002年に終了していますが、寄生虫検査をして衛生について啓発し、当時トイレなどなかった地域にトイレを各家庭に導入し、先ほどの赤い箱の分娩キットを配布しながら自宅分娩を介助する人々をトレーニングし、資格を持った医療従事者が常駐する出産できる診療所を建設する、という壮大なプロジェクトでした。

愛子さんは既に他界され、当時のことを知る人ジョイセフのスタッフからぜひその後の母子保健診療所を見てきて欲しいと言われました。

当時建てられた出産のための診療所はきちんと機能し、出産介助できるトレーニングを受けた看護師が2名常駐していました。私が訪問した時も一人出産を待っている女性がいました
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二日後に出産を控えたゴマ・グッタムさんとお姑さん、義理のお姉さん↓
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ジョイセフのスタッフが来ると知って、当時のプロジェクト関係者が2名わざわざ診療所まで会いにきてくださいました。

村の代表の一人だったハリ・プラサドさん↓
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プロジェクトアドバイザーのビシュヌ・アデカリーさん↓
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「私たちはアイコが大好きだった。アイコほとんどネパール人になっていたよ。村人と一緒に地面に座って話をしていた。
アイコが亡くなったと知った時は私たち村人は本当に悲しかった。彼女は村を変えた恩人で、私たちの仲間だった。
彼女は本気で村の貧困層の生活がよくなるにはどうしたらいいかを考えていたことがみんなわかっていた。だから自分たちも頑張らなければと思ったんだよ。」

当時の資料から見つけた愛子さんの写真↓
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「プロジェクト終了後も、アイコの想いを実現しなければと私たちは頑張った。女性リーダーたちにヤギで収入創出活動をさせたり、15村のそれぞれの地区を15団体のNGOに引き継いだりした。
けれどもうまくいかなかった村もある。スタッフの給料がプロジェクト時の10分の1になったから人材を引き留めるのにも苦労した。
でもこのあたり一帯を歩けばすぐにわかる。当時はどの家にもトイレなんてなかったのに、今はトイレがあたりまえの生活になった。寄生虫検査も本当に村人を説得するのに効果があったし、当時は信じられなかったけれど、家族計画も今ではあたりまえになってきている。
続いたことと続かなかったことがあるけれど、あのプロジェクトがこの地域を大きく変化させ人々の健康を改善したことはもうもとに戻すことはできない事実なんだ。」

診療所を一通り見学させてもらった後、この診療所で最近出産した女性シュレスタさん宅に訪ねて行きました。
車中で診療所事務の男性が、もう一人の日本人の話をしてくれました。
当時、ジョイセフのプロジェクトに参加していた海外青年協力隊の田中レイコさん(漢字未確認)という方だそうです。

「レイコは日本人の助産師で助産師をトレーニングするために来ていた。レイコは15村を私たちと一緒に毎日歩いて回った。一日1村まわっても半月に一回しか巡回できない。毎日5時間は歩いただろう。彼女は本当に熱心な人だった。
あるとき、前の見えないような大雨が降っていて、私の前でレイコが足を滑らせ、川に落ちた。私は必死に彼女を泳いで助けたよ。
彼女が2年後日本に帰ると言ったときはスタッフも、村人も皆泣いた。家族がいなくなるようでとても悲しかった。その後彼女が日本で娘を産んだと写真を送ってきた。それを見てみんなで喜んだんだよ。」

当時のプロジェクト資料から見つけたレイコさんの写真↓
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話を聞きながらシュレスタ家にたどり着いたら、たくさんの笑顔が待ち受けていました。
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赤ちゃんもすくすく育って、お母さんも健康だそうです。

マヤ・シュレスタさん(左)の赤ちゃんは生後16日目、シャンギダ・シュレスタさん(右)の赤ちゃんは生後5日目。↓
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愛子さんとレイコさんがいたネパール。

今も、各地に駐在しているジョイセフのスタッフたちがいます。彼女たちは元気かなあ。そしてその他の多くの国際協力NGOのスタッフのみなさん、海外青年協力隊のみなさん、現地の人々とどういう開発が一番村人のためになるのか頭を悩ませながら頑張っているのでしょう。

帰国したらレイコさんに話を聞きに行きたいと思います。
そして実現したらそのこともブログに書きたいと思います。

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パンシカルからの帰り道に会ったカトマンズの大学生(卒業したばかり)4人組み。
中国国境でバンジージャンプをしに行くのだそう。若いってスバラシイ!
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今日の夕飯。(ビールなしでした。ぐすん。)
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4日目の今日はチトワンというネパール中央部に移動して村をまわっています。
その話はできれば明日書きますね。
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by joi-waka | 2012-08-13 04:58 | インド・ネパール
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