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ワカのサンキューブログ
九州の秘境でお盆
終戦記念日。そしてお盆の最終日。
久しぶりの実家です。

以前もブログで紹介したけれど、実家は大自然以外何もない九州の秘境にあります。よく民俗学などで紹介されるような今では珍しい風習がたくさん残っていて、過疎化・高齢化しつつも細々と伝承されています。

あたり一面、山の緑しか見えないこの家にいると、昨日までの東京での喧騒が夢のように感じます。仕事でうまくいっていない案件とか、プライベートの悩み、満員電車、猛暑とか余震とか放射能もすっかり遠い過去のことのよう。どんなに耳を澄ましてもただただ鳥と虫の声、川のせせらぎが聞こえるだけです。
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この地域ではお盆は松明(たいまつ)で13日に迎え火、15日には送り火を焚きます。(どこもそうなのかな)今年の送り火は雨の中、行われました。

まず13日に山の上にあるお墓から松明を焚いて家までの道を灯しながら下りていきます。下りていくときに少しずつ松明を分けながら道に置いていきます。松は山から事前に切ってきたものです。根元の方が松脂が多いので枯れて駄目になった松の根っこを使います。
小分けにした松明にはお線香も一緒に置いていきます。
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そしてだんだんと松明が家に近づいてくるとご先祖様が家のお仏壇に戻ってくることができるのです。ご先祖様は14日に家のお仏壇でゆっくりして集まった子孫たちとこの世で楽しい時を過ごします。そして15日の夕方には本当に名残惜しいけれど、子孫は送り火を焚いて、お墓までまた松明を点々と置いていきます。ご先祖様が帰っていく道のりです。

幼いころはこの儀式が大好きでした。松のやにが焼ける匂いとお線香の香りが混じってあたり一面すごいいい香りがしてくるのです。そして夜には家族や親せきで集まってのご馳走が待っています。

もちろん食べるのは精進料理のお煮しめ。
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祖父が毎年の8月15日のように、刺身と焼酎をちびちびやりながら終戦のことを語り始めます。1945年のあの日、祖父は22歳で熊本の六師団で軍隊の教育係をやっていました。
野戦に行きたかったけれど、順番が回ってこなかったと。今考えればラッキーな話ですが当時は皆、規律の厳しい国内の訓練所より、自由のきく野戦を希望したのだとか。

66年前のこの日、熊本の六師団で天皇のラジオからのスピーチを聞いて、何を言っているのかさっぱりわからなかったそう。みんな「もっと戦争頑張れと言っている」、と適当なことを言っていたそうです。一時間後上から敗戦と説明があったときは誰も驚かなかった、「みんなもう負けると言っていた」と祖父。毎日の熊本上空の空爆を見れば、それぐらい誰にでもわかったと。悲しいとかうれしいとかではなく、とにかくみんな事後処理(書類を焼いたり、財宝を燃やしたり)に追われたと。九州は、戦争中、中国で暴れまわった兵士が多いから仕返しが来るのだという噂があったからだとか。

満州から戻ってきた同じ村のOさんが病気でうなされるたびに「クリークで本当に何人も刺した。あちらこちらから刺してクリークに突き落とした。ひどいことをした」と繰り返したのはこのあたりでは有名な話。春と秋に頭がおかしくなり、ガラス窓を割って回る人もいたと聞いたこともあります。

一方、知人の中には軍隊に参加せず終戦まで逃げ切った村人もいたとか。ナナツヤマという場所にいた陸軍上等兵が戦争中どこかに姿を隠して、終戦直後にお嫁さんをつれて戻ってきた話は今でも語り継がれています。「見つかったら水風呂で一生拷問だって言われてたから本当によう逃げた」と祖父。
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たった66年前だとは思えない、今日の日本から想像できない話です。お盆にご先祖様を迎えて見送る仏教の文化を大切にしてきた人々が、戦争をしたなんて。
でも、人間ってこんなふうに脆い存在ということですね。今も起こっているアフガンの内戦や最近のロンドンでの暴動を見ていても思います。

特別な人じゃなくて、だれでもそうなりうるんだと思います。もしかして無意識のうちにというか、感覚が麻痺してしまって気づいていないだけで、いつの間にか大勢で間違った方向に進むってありえると思います。軍隊に行く人が賞賛される中、私は逃げて隠れるなど選択するかな。みんなが同じように犯罪を犯している現場でNOと言えるのかな?感覚が麻痺して人を殺したりしないかしら。

「我々は被害者であると同時に、加害者でもある。」先日、村上春樹さんがカタルーニャ国際国際賞受賞言ったスピーチにそんな一文がありました。

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東京新聞8月9日号(共同配信)より一部抜粋

戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。
そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
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先日、岩手の陸前高田の松から放射性セシウムが出て、送り火に使用できなくなってしまったという悲しいニュースを聞きました。村上さんが言うように、私たちは被害者で、そして加害者なのだと思います。夕暮れ時の雨の中、松明のゆれる炎に人間の脆さを改めて考えます。集団で間違った方向に決定をくだすことなく、少しでも多くの人に平穏な日々が訪れますように。


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by joi-waka | 2011-08-16 01:59 | 仕事のことは忘れて
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